01.16
Mon
以前、モノへの執着心は親譲りで、そこから脱却するのに時間がかかった事を
書いた時、どのようにシフトしていったか?モノとの向き合い方について、
ご質問をいただきました。
そんなことを考えてみたことがなかったので、すぐにお返事ができなかった
のですが、どうだったのか?を考えてみました。でも本当のところ、
こうだったと言い切れる確かなことはないんです・・・m(_ _)mゴメンナサイ

親の影響というのはものすごく大きく、モノがあることで安心感、満足感が
かなりありました。ただ、モノが多いから部屋が片付かない、だから
モノを捨てて(くどいようですが、ゴミとして捨てるということではなく、
リサイクルも含めてモノを処分、手放すという意味です)ということだけで、
モノを減らしたいと思ったわけでなく、正直なところ、
「これだけモノを持ってどーするの?」
って思ったんです。使わないモノを持ち続けてもデメリットの方が大きく、
見ていると虚しい気持ちさえでてきました。
モノに左右されてころころ好みがかわったりして、自分がブレブレでした。

結果的にモノが少ない方が掃除もラク、片付けもラクとは思います。
でもモノが多くてもきちんと片付けができて、お部屋がきれいな人も
いるので、モノがあることだけが片付かない原因だとは言い切れない。
他人から見れば不要なモノでも、その人にとっては必要なモノだったり。
でもあきらかにモノの持ちすぎでキャパオーバーだよ・・・という場合も。
この話しは横にそれてしまうので、本題にもどります。


一度に全て手放せたというわけではありませんが、
憑き物がとれたという感じなのです。

好きで買ったハズの洋服でも、着倒すことなくくたびれ感のない洋服を
見ていると、いかに愛着がなかったんだなーと感じました。
毎日出勤していた時でも、やっぱりよく着る服とそうでない服があり、
さらに着にくかったり、パッと見で買ったはよいけど着心地が悪く、
出番がなくなった服。サイズが変わった洋服なのに、「そのうち痩せたら」
ってそんな淡い期待を抱きながら持ちづづけていました。
でも、そんな服を見た時に「これからも着るのか?」って思ったら、
「絶対に着ないよね」。
でもそんな洋服でも、値段が高いと余計着なくても手放せなかった。
洋服に支払った代金を考えると、「あぁ、もったいない」でした。
もちろん自分でお直しとかできれば、着たものもあったかもしれません。
でも、本当にそうしてまで着たい服なら、代金を支払ってでも
お直しをしただろうと思いました。
以前の記事にも洋服について書いたことがありますが、
繕ってでも着たい服は着るんです。

そう思うと、自分が着たい、本当に愛着がもてるモノだけを持とう。
そう思いました。それと、「もったいないから今は使わない」ということも
なんて馬鹿げたことだとも思えるようになりました。
「今使わないでいつ使うの?」
母が祖母の遺品を整理した時に、母が祖母に贈ったモノが大切に
仕舞われたいたのを見て「使わないで新品のまま置いて置くなんて・・」
なんてぽつりと言ったことがあったんです。でもその母でさえ、
私が贈ったモノを「なんか使うのがもったいないから」と言って
使っていなかったことがあり、同じ事を繰り返しているじゃないのって
思ったことがありました。
たとえ新品でも年数が経つと、どこか古ぼけて見えます。
せっかくその時代のモノ、旬のモノを使わないでどうするの?
そういう思いがどんどん強くなってきました。

それと、数が多すぎて使い切れなかったということがあります。
かつては、数がたくさんあることが幸せだと感じていたところが
ナキニシモアラズでしたが、モノの数で思ふものでもないことに気づきました。

モノは使ってこそ。もちろん見て楽しむコレクションもありますが、
私は使う、着る、履くためのモノは、最後まできちんと使いたい。
とことん使いたい、着たいと思うようになりました。

モノが多すぎて見えていないことがありました。
モノへの依存が強かったこともあります。
これは手放したいと思いつつなかなかふんぎりがつかないモノは
生活しているとでてきます。右から左へと流れ作業のようにはいきません。
ふんぎりつかないモノがでてきたら、とりあえず別なところににどけて、
時間が少し経ってから見直すと、グジグジしていた自分が
あっさりと手放せる時もきました。

手放せないのはまだその時期じゃないかもって思うのもひとつ。
手放した後のすっきり感を思い巡らせて、バッサリするのもひとつ。
だと思います。でもモノを捨てて後悔したモノは少なからずあっても、
それを引きずることもない。人間って便利にできているなあって
思いました。その時は酷く悔やんでも忘れるようにできている。
目を奪われるモノは次々でてくるのですから(笑)


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ご質問のお答えになっていないかと思います。
上手く言葉にできず歯がゆい思いもします。
おそらく私の中でモノへの執着が薄れたのかもしれません。
なんとなくそういう時期がきた・・という感じなのです。
本当に的を得たお答えができずごめんなさい。


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